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luna y perroluna y perro
日々のぼやき
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 広島の夏は暑かったピョン、と深津がつぶやいたのを聞いて沢北はかおをあげた。吐く息が白い。ねっとりとした自分の息はしずかにくちびるの周りの肌とマフラァを湿らせ空気に溶けていった。小さな息だけでは秋田の凍みるような寒さをあたためることは出来ない。そんなことを思いながら沢北はそうですねぇとだけ応えた。ことばを発したあとで、あまり意味のない返事だ、と後悔した。深津は背中をむけている。坊主頭がいかにも寒そうだ、と思った。沢北も深津と同じ髪型(山王バスケ部伝統である坊主頭)だがこのあいだ他校の女子がつくってくれた毛糸の帽子をかぶっているため、何も被っていない深津よりは寒さを感じていないはずだ。
 
 深津はバスケ部を引退した先輩だ。
 夏のインターハイ、二回戦で山王は湘北に負けた。
 
 だが二回戦敗退校とはいえ山王は王者でもあった。マスコミやOBや教師。そういった周囲の大人たちが山王に失望することはなかった。逆に一層期待をかけてきたのだ。
 
『冬の選抜では――』
『雪辱を、』
『王者として、返り咲いて――』
 
 それらの期待はまだ二年の沢北にとって重いものでしかなかったが同時に三年が居る、という安心感もあった。周囲の期待に応えるのは三年だ、と。沢北は何故か勝手にそう思っていたのだ。
 
 だがそんななか深津たち三年は見事な引き際で引退していった。周囲の期待に応えてみんな残り、冬の選抜の出場するだろうと思っていた沢北の予想は大きく裏切られた結果となった。
 それはあまりに呆気なさすぎる引退で、だから残された沢北は何故か三年達――しかも何故か、深津には特に――苛立ちを感じていた。置いていかれた、という気がしたのだ。気のせいかもしれないが。あるいは気の迷いなのかもしれない。
 
「何で、」
 
 つぶやいたこえは深津の背中にあたって弱弱しく消えた。寒い夜。空気が氷のようだ、と沢北は思った。深津はゆっくりと振り返った。夜の暗さにまぎれそうな雰囲気の、無表情だ。といっても深津のかおは大抵の場合が無表情なのであまり気にすることではない。
 
「何だピョン。」
 
 ピョン、という語尾が面白くて沢北はくちびるを曲げた。聞きなれている筈のピョンが、何だかとても新鮮なものに思えたのだ。すこし笑ってから口を開いて息を吸う。夜の空気が沢北の肺をつめたく満たした。深津は沢北のすこし前で立ちどまっていた。山王工業高校、校門前の坂。ふたりの他にはたれも居ない。深津は学生鞄だけを持っていた。沢北を見る深津の目は厭になるほど無表情だ。
 
「・・・何で、辞めたんですか、」
 
 口調は強いものになった。同時に、沢北のこころから黒い塊が噴出した。焦燥だ、と沢北は思った。自分は焦っているのだ、と感じる。三年――特に尊敬していた(態度には億尾も出さなかったが)深津が――引退してしまってから、ずっと抱えていた焦燥だった。三年に置いていかれる。そう感じていた。
 周囲の期待。プレッシャー。そういったものから三年は逃げだしたのだ。自分を残して。そう思っていたからこそ、沢北は三年に対して苛立ちを感じていたのだ。夏から、ずっと。
 
 沢北の問いに深津は応えなかった。ただ無表情だったひとみに訝しげな光がともっただけだった。ふたりともしばらく黙っていた。夜の空気。沢北は自覚した焦燥をごまかすように厚いマフラァに口元を埋めた。深津がゆっくりと口を開いた。唇の端からあたたかな白い息が吐き出されて、白いもやが深津のかおを薄く覆った。
 
「・・・・・・帽子、」
「はい?」
「・・・また女子から貰ったのか?」
 
 ピョン。
 一呼吸おいてから深津はそう云った。沢北はどう応えてよいのか分からなかったので、取りあえず点頭くだけにした。深津は口だけで歪んだ笑みをつくって沢北から視線を外した。深津の背中。秋田の冬はとても寒い。
 
「・・・河田に見つかると、また泣かされるピョン。」
 
 深津がそれだけを云ったので、沢北はすこしだけ、笑った。焦燥がじわじわと溶けていくのを感じた。深津が歩きだす。沢北はそれを追いかけた。視界にうつる、深津の背中を。
 
「泣いてませんよ!」
「嘘ピョン。泣いたピョン。沢北はすぐ泣くピョン。」
 
 深津の背中。沢北は被っていた帽子を取った。外気にさらした坊主頭はふるえるほどに寒かった。沢北は毛糸の帽子をぎゅっと掴むと、震えたくちびるを強く開いた。
 
「・・・選抜は、優勝します。」
 
 そうか、と深津がつぶやく。歩くのをやめようとしない。沢北はもう一度、優勝します、と低くつぶやいてから深津のあとを追った。深津の背中を追いかけて、一歩ずつ、歩いてゆく。
 
 前ばかりを歩く、先輩の背中に追いつくために。
 
  
 
おわり。
 
→スラムダンクでは山王が一番好きでした。 
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 結局あれって、ただの八つ当たりだったよなあ。
 みすず旅館のベッドのうえ。ルーミィの着替えを手伝ってやりながらわたしは昼間のことを思い出して溜め息をついた。あの瞬間はものすごく腹がたって、その怒り方が自分でも不思議なくらいだったけれど。つまりあれって、ただ単に本を諦めたことばっかりだったとか、お腹がすいていたとか、そういう些細な原因が積み重なった結果だったんだと思う。そこでたまたま、トラップのひと言が引き金になってしまっただけで。
「ぱーるぅ、どうしたんらおー?」
 寝ぼけ眼のルーミィが尋ねてきて、わたしは慌てて「何でもないよ」とこたえた。晩御飯を食べたばかりだからルーミィの目は半分閉じかけている。中綿がぺしゃんこになってしまったパジャマを着せてベッドに寝かしつけると、すぐに小さな寝息を立てはじめた。
 となりで横になると、ルーミィの体温が温かくておもわずうとうとしてしまう。来週までにあげなきゃならない原稿があるのに…原稿料を前借りしているから、遅れるわけにはいかないのだ。前借り、借金。最近はそんなことばかりだ。
 そう、昼間のことを考えてるうちに自覚したんだけどわたしは結構いろいろなものに押し潰されそうになってたみたい。お金もないし、つい最近までは冒険者をやめようかどうかで悩んでたし……そのことはもう解決したと思ってたけど、心のどこかであの時の暗い気持ちを引き摺ってたんだよね。キスキン国のことが終わってからは、家を買ったりその家の修繕をしたりで目が廻るほど忙しくて、あの時の気持ちなんて何処かへ消えていたんだけど。
 そうやってわたしがモヤモヤしてるところに、トラップが能天気かつ自分勝手にも「金貸して」ときたじゃない? だから自分の悩みを思いっきり逆撫でされたっていうか、あけすけなトラップの態度に嫉妬したっていうか。言葉にするのって難しいけど、そんな感じだったんだと思う。まさに純然たる八つ当たり。トラップには悪いことしちゃったな。
 まだ人間ができてないよな、わたしって。そんなことを考えながら寝返りを打っていると、ふと部屋のとびらがノックされた。いけないいけない、眠っちゃうところだった。ベッドから起き上がって寝ぼけた声で返事をした。
「開いてるよー。クレイ?」
「俺」
 ぎぃっと扉が開いて、かおをみせたのはトラップだ。不機嫌そうに眉をひそめているので多分昼間のことを怒ってるんだろう。
 トラップは無言のまま部屋の中に入ってくると勝手に椅子に座ってしまった。そしてこちらをじっと見つめる。ううう、何だか責められてる気がする。あの後、あれが原因で彼女と気まずくなっちゃったのかな。
「昼間のことだけどさ」
 トラップは少しだけ迷うそぶりをしてから話しはじめた。けれどすぐに言葉を止めて視線を宙へと泳がせる。何だかそれは怒っているというより、照れているようにも見える表情だった。わたしがじっと見ていることに気が付いて、あわてて視線を逸らせる。
 あれ? 怒ってるわけじゃないのかな?
 わたしが内心首をかしげるのと同時に、トラップが視線を逸らしたまま口を開いた。
「あれって……アレ、か?」
「はい?」
 何を言ってるんだ、こいつは。わたしは首をかっくりと傾げた。アレじゃ分からないよ。そんなオブラートに包んだような言い方はちっともトラップらしくない。
「アレって何なの? はっきり言ってくれなきゃ分からないよ」
「……分かれよ、ちっとは」
 トラップが不機嫌そうにこちらを睨む。けれど以前みたいな冷たいだけの、こっちを蔑んでるみたいな視線じゃないことはすぐに分かった。ちょっと目尻が赤くなってるし。ますます首を傾げるわたしをよそに、トラップは赤毛の髪をくしゃっと手でかきまわした。椅子に反対向きに座りなおして、背凭れの上で腕をくむ。こちらを見つめてくる視線は、何かを秘めているような感じだった。でもやっぱり言葉にしてくれなきゃ分からないわけで。
「だから、何なの? 怒ってるの?」
「いや、怒ってるわけじゃ…」
 そうか、怒ってないのか。デートに水を差されて怒ってるんだと思ってたけど。そのうえお金も貸してないわけだし…でも本人が怒ってないって言うんだから、違うんだろうな。じゃあ一体なんなんだ?
 トラップは組んだ腕にかおを伏せて、少しするとがばっと顔をあげてこちらを見つめた。
「昼間のあれって、もしかすっと…」
 やっぱりそこで言いよどむ。何かトラップらしくないな。いつもはぽんぽん会話が弾む相手なのに。仕方ないのでわたしは自分から話をすすめることにした。トラップと話すときはいつも主導権を向こうに取られてるから、ちょっとだけ嬉しいような気持ちになる。
「もしかして、昼間わたしが怒鳴った理由?」
「そう、それだよ」
 トラップはポン!と手をたたいてわたしを指差してきた。わたしはにっこりと笑う。トラップが怒ってないと分かったからちょっとだけ気分が軽くなったのだ。
「ああやっぱりー。あれね、トラップには悪かったけどつまり焼きもちなの」
「……やきっ?!」
「そう。だってトラップが呑気にデートとかしてるから」
 わたしの言葉にトラップが目を丸めている。何かこいつ、いつもと違うなー。理由は分からないけれどトラップは顔中を真っ赤にしていて、彼のそんな顔をみるのは初めてだから、わたしは内心ほくそ笑んでしまった。
「実はあの前、わたし欲しい本を諦めてたんだよね。まぁわたしたちって今お金がないからそれは仕方ないんだけど、その本が偶然にも千Gだったの。そしたらトラップが千G貸してときたじゃない」
 トラップは目を円くしたままわたしの話を聞いていた…けれどゆっくりとその眉が吊りあがってくる。しかし喋るのに夢中のわたしはそんなトラップの変化に気が付かなかった。
「わたしは本を諦めたのに、こいつは能天気にもデートとかギャンブルで金を使うのか! って思ったら、すっごくむしゃくしゃしちゃって…で、その呑気さに嫉妬しちゃったって言うか。だから八つ当たりだったんだよね。きっとトラップにも彼女にも、気分悪い思いさせちゃったよね。だから、」
 ごめんね、と言おうとした瞬間。
 ばん!とものすごい音がした。え、何? と見るとトラップが椅子を蹴るようにして立ち上がっていたのだ。こちらを見おろす瞳がものすっごく怒ってるみたいで、わたしは一瞬ことばを忘れて呆けてしまった。
「テメーに期待した俺がバカだった」
 トラップは吐き捨てて、部屋を出て行こうとする。わたしは慌ててベッドから飛び降りるとドアに手をかけているトラップの腕をとった。
「何で怒るの? 能天気ってとこが気に障った?」
 それとも呑気かしら?と、尋ねるわたしの耳を引っ張ると、トラップは思い切り息を吸って。
「……このッ鈍感女!!!」
 蝶番が壊れるんじゃないかと思うくらい強くドアを閉めて、部屋を出て行ってしまったのだった。
 あとに残されたのは呆然と立ちすくむわたしとむにゃむにゃと寝息をたてているルーミィだけ。耳元で怒鳴られた所為でまだきーんと耳鳴りがしている。
「とりゃーっ、ばかなんらおう…」
 ルーミィの寝言を聞きながら、わたしは言いようのない脱力感に襲われてその場にへたりこんでしまったのだった。
 
 
* * * * *
 
 
「……何だったの、今の音」
 と、呟いたのはリタだった。みすず旅館の入り口ホール。店の残り物を片手にやってきたリタは、扉を開けると同時に二階から聞こえた大音響におもわず持っていたバスケットを落としそうになってしまった。日頃客の大声に慣れているリタでも驚くくらいの大声と、扉を閉める音だったのだ。天井から吊り下げられた電燈がゆれて、埃がぱらぱらと舞っている。
「ま、気にしないほうがいいですよ。いつものことですから」
 リタの呟きに応えたのはキットンだ。何種類かのキノコをテーブルに並べて検分している彼のとなりでは、剣の手入れ中のクレイが呆れたような視線をキットンへと投げかけている。
「キットン、またトラップに何か言ったんだろう」
「別にどうってことじゃないですよ」
 キノコを眇めて、キットンは何でもないことのように言葉を吐いた。
「トラップが、昼間女の子と一緒に居るところをパステルに見られたと言ってましてね。どうも話をきくとパステルは怒っていたというので、じゃあそれは俗に言う焼きもちというやつではないんですかと助言したんですよ。分かります? 焼きもち。焼いたもちじゃありませんよ、クレイ」
「それくらい分かるさ。第一今は餅の季節じゃないだろう?」
「そういう問題じゃないと思うよ…」
 リタの呟きは、小さかったのでふたりには届かなかったようだ。
「で、トラップに言ったんですよ。何ならパステル本人に聞いてみたらいいじゃないですかって。もしかするともしかしますよ、なんて言ったら、彼、呆気ないほど簡単にその気になりましてねー! いや、あんなトラップは普段じゃ絶対見られませんよ!! ぎゃっはっは!!」
 キノコを片手に高笑いをするキットン。リタはその場であたまを抱え込みたくなった。
「…キットン、楽しんでるでしょう?」
「いやいや、まさかまさか! リタの思い過ごしでしょう! ぎゃっははは!!」
「楽しそうだなあ、キットン」
「ぎゃっはっはっはー!!」
 キットンの大笑いをBGMに、みすず旅館の夜はふけていくのでした
 わたしたちが拠点にしているだけあって、シルバーリーブの村はかなり物価が安い。もちろんエベリンとか大都市と比べると品数もそれほど豊富じゃないし、洋服とかも可愛いデザインのものなんかは無かったりするわけだけど。村に住んでる子たちに話を聞くと、彼女たちも洋服やアクセサリーはエベリンで買うことが多いんだそうだ。わたしがエベリンに行く時も、よくリタに洋服やアクセサリーの買い物を頼まれたりする。
 でも普段使いの部屋着なんかはあんまりデザインにもこだわらないしね。だから部屋着や日用品はいつでも村の安価なお店で買うことにしていて、そういう点ではいつも赤字状態の我がパーティにはとってもありがたい村と言えるんだ。
 そんな物価の村だからだろう。時どき、ちょっと高い品物なんかを見かけたりすると「うっわ、高価ーい!」とか思ってしまうのだ。エベリンではきっと「安い!」と思えるような値段でも悩んでしまったりする。多分まわりのものがあまりに安いからだろう。わたしなんかは周りに影響されやすい性格をしているから、特になやんでしまうんだ、きっと。
 
 
「うーん…」
 ものすごく暖かな日の昼下がり。
 わたしはシルバーリーブに一軒だけの古本屋さんでひとり悩んでいた。原因は手に持った一冊の本。この本を見かけたのが一週間前のことで、それから毎日のようにわたしはこの本屋さんに通っては長い時間買うか買うまいか悩んでいる。
 赤い皮張りの本は、かなり昔に書かれたものだ。作者はとっても有名な冒険作家で、彼の本はわたしも何冊か持っている。セラファム大陸で活躍していたらしいその作家は、実はシルバーリーブ周辺の出身らしい。わたしが手にしている本は彼が有名になるまえに自費で出版したもので、もちろん市場に出回ってはいない。半分道楽で出したんだろうな、当時無名の作家が出したにしてはかなり豪華な装飾がほどこされている。だからだろう、古本にしてはけっこう……いや、かなり高い。
「どうです、パステルさん」
 背後から突然はなしかけられて、思わず持っていた本を落としそうになってしまった。慌てて本を書棚にもどして振り返ると、本屋の主人が箒を片手にほほえんでいた。
 わたしの祖母くらいの年齢かな? 髪が真っ白で、たれさがった白い眉毛がとっても優しそうな印象のご主人だ。彼はわたしがこの本のことで悩んでいるのを知っている。だからわたしが書棚にもどした本をちらりと見ると、申し訳なさそうに眉毛をいっそう垂れさせた。
「すみませんね、もうちょっと安く出来ればいいんですが……それは希少価値が高いうえに元が高価な本なんで、それ以上安くするとどうしても原価割れになってしまうんですよ」
「ううん、分かってますよ」
 ご主人があんまり申し訳なさそうなんで、わたしはあわてて手を振ってアハハと笑った。
「以前エベリンでこの本を見たことがあるんですけど、その時はこの五倍くらいの値段でしたもん! だから此処でこの本を見つけたときは、この値段で売ってるのが信じられなかったんです。これ以上安くして欲しいなんて言ったら罰があたっちゃいます。ただわたし、貧乏なもので……」
 言いながら情けなくなってしまった。うーん、キスキン国の報酬をもらったときにこの本の存在を知っていれば迷わず買っていたのに。でももしその時この本を買っていたら、その後の騒ぎできっとこの本は燃えちゃったんだろうな…そう考えるとやっぱり買わなくて良かったのかも。
 ちなみにこの本のお値段は千G。やっぱり古本にしてはかなり高い値段だ。特にわたしたちパーティは現在全財産を火事で無くしているから、千Gでもかなりの大金なのだ。
 もちろんこの本にそれだけの価値がないと言ってるわけじゃない。少しだけ立ち読みさせてもらったけれど、内容はものすごく面白かったもの。あんまり面白くって、それ以上読むと欲しくなりそうだから途中で読むのをやめてしまったくらい。
 この作家の物語はもともと面白いんだけど、この本は作者がわたしと同い年くらいのときに書いたからか文章や登場人物の心情がものすごく心に迫ってくる。まるで自分自身が冒険しているみたいで、目の前が真っ暗になるくらいどきどきした。
 欲しい、けれど先立つものが。
 わたしは棚に戻した本の背表紙を見あげて溜め息をついた。千Gあればな…ううん、今もってるお財布の中には千Gくらい入ってるんだ。でもこれは皆の食事代に使ったり洋服とか燃えてしまった日用品を買うつもりのお金だから、ここで使うわけにはいかない。着替えも全部燃えてしまったから、ルーミィなんか近所の人にもらったお下がりの服を着ているんだもん。布地が擦り切れてしまって見るからに寒そうなジャンパースーツを着ているルーミィを見ていると、ちょっと可哀想になってしまう。もちろんルーミィは着るものに拘っていないんだけど、だからこそちょっとはいい服を着せてあげたいなと思うし。ルーミィ以外の面々にしたってぼろぼろの服を着つぶしている状態だし、毎日の食事代だって莫迦にならないし…。うう、何だかこれって、かなり所帯じみた考えじゃない?
 そんなことを悶々と考えて溜め息をつくわたしの様子があまりに哀れだったんだろう、ご主人は「この本を貸し出しましょうか?」とまで言って下さった。でもこの本は売り物なわけだし、一回手にとってしまえば欲しくなるのが分かりきっているから、わたしはそのお誘いを丁重にお断りして本屋をあとにした。
 
 本屋の外に出ると日差しがとても眩しくて、一瞬だけど目を細めた。本が傷むのを避けるために本屋の窓にはブラインドが下がっていたのだ。
 まだ春になっていないから風が少し冷たいけれど、その代わり日差しがとても温かい。いつもは閑散としているメインストリートだけど、今日は陽気に誘われたのだろう普段より多くの人が道を行きかっていた。両手一杯に果物をかかえたおばさんとか、モンスターに壊された家を直すのだろう木材をかかえた男の人とか。村の復興がはじまっているとはいえ、まだ家が壊れたままの人もいるみたい。そう考えると本一冊を買うかどうかで悩んでいる自分が、ものすごく周囲から浮いている気がした。
 みんなその日の生活を頑張っているのに、本一冊買えないだけで悩んでいる自分が、何ていうか…甘いような気がして。わたしはとりあえずあの本のことは忘れるようにしよう、と決心してみすず旅館へと戻ることにした。
 すると。
「なぁにシケたツラしてんだぁ?!」
 莫迦でかい声といっしょに、どん、といきなり背中を叩かれた。本当にいきなりだったから思わず前につんのめってしまって慌ててこらえて体勢をもどす。こんなことをする人なんて一人しかいない。勢いよく振り返ってきっと睨むと、やっぱりそこにはトラップがいた。赤い髪が風にさらさらと靡いている。逆光で表情はよく分からなかったけれど、ひょろりとした躯つきと声でトラップだとすぐに分かる。彼が意地悪く笑っているのも、見えないけれどすぐに分かった。
「ちょっと、トラップ! 転んだらどうするのよ!」
「これっくらいで転んだら冒険者失格だろ? 方向音痴のマッパーのうえに街中で転ぶような鈍くせー冒険者なんてなかなかお目にかかれないぜぇ?」
 トラップはにやにや笑ってわたしを見おろしたままだ。もう、何でこの人っていつもこうなんだろう。人の弱点を的確に突いてくるっていうのかな。本気に受けとるとかなりのダメージだ。わたしは頬をふくらませて、トラップをずいっと下から見上げた。
「まだ転んでないわよ! それに此処がダンジョンならもっと周囲に気を配ってるし! 今は街中だからちょっと油断しちゃったけど…」
「油断大敵。敵は何処から来るのか分かんねぇんだっていつも言ってるだろーが」
「何よ、トラップだってカジノに居るときは油断しほうだいじゃない…って、あれ?」
 そこでわたしは文句を止めた。トラップの肩越しにこちらを見ている女の子の存在に気付いたからだ。金髪の巻き毛に大きな茶色の瞳、細い腕をこしにあてて大きな胸をせり出してわたしを睨んでくるその女の子を、わたしは何度か見たことがあった。たしかトラップの親衛隊のひとりだ。この男のどこがいいのかわたしにはさっぱりなんだけど、彼女はかなり本気みたいで……トラップと一緒に居るわたし(当たり前だよ、パーティだもん!)にいつも敵意を向けてくるんだ。
 彼女の大きなひとみが段々つりあがってくる。周りには他の親衛隊も居ないみたいだし、もしかしてトラップとデートの途中だったのかな? だとすると、彼女がわたしを睨みたくなる気持ちも分かるな。いつもは他の子と共有してるトラップ(っていうと物みたいだけど)を独り占めしている時に、わたしが割り込んできたわけでしょう? トラップが勝手に話しかけてきたとはいえ、そりゃわたしを怒りたくもなるわな。
 トラップもトラップだよね。デートの最中に、相手を放っておいて他の子に話しかけたりするのってマナー違反じゃない。結構トラップは、そういうデリカシーに欠けてると思う。この場合あとで迷惑をこうむるのはわたしなわけだし。それを考えてわたしは段々不機嫌になってしまった。
 トラップも表情が硬くなったのに気付いたんだろう、「あんだよ?」とわたしの顔を覗きこんでくる。だから、その至近距離が駄目なんだって何で分からないんだろう。ほら、彼女の目がますます吊りあがってるー!
「トラップ、もしかしてデートの最中だったんじゃないの?」
「ああ……まぁ、ちょっとな」
 トラップはようやく背後の女の子の存在を思い出したようだった。何故か居心地のわるそうな表情でちらりと背後をふりかえって「もしかして気になるのか?」とにやりと笑ってこっちを見た。まるで子供をいじめるガキ大将みたいな笑い方だ。ちょっと得意げに、眉をあげる。
 何か感じわるいなあ。わたしは「知らない!」と怒鳴るとトラップから離れようとした。
 けれど。
「ちょい待ち、パステル!」
 がしっと手首を捕まれてしまった。思わず振り返ると、視界いっぱいにトラップの真剣な表情が広がっていて少しびっくりした。こいつの真剣な顔なんて久しぶりに見たなー。クエスト中ならまだしも、シルバーリーブでのトラップなんかいつも寝てるか人を莫迦にしてるかのどっちかだもん。
 そのトラップのかおがゆっくりと近付いてきて。真っ直ぐなひとみにわたしが映っているのが分かって。
「……っ、」
 何でだろう、息が詰まる。心臓が一気に跳ね上がった気がした。頬とか耳がものすごく熱くって、多分いまのわたしかなり顔が赤いんじゃ…と狼狽するわたしをどう思ったのかトラップは僅かに笑った。少しだけ唇をあげる、大人の男の人のような笑い方。
 何、その笑い方?!
 いきなり高鳴り始めた胸の辺りをぎゅっと押さえて、わたしがあたふたしているとトラップはゆっくりとわたしの耳に口を寄せた。うわー、息が! 普段は気にならないのに! 何か恥かしい!
 そして。
 
「千Gでいいや。貸してくんねー?」
「……はい?」
 
 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。尋きかえして恐る恐るトラップを窺うと、彼はいつも通りの意地のわるい笑みを浮かべてこちらを見ていた。肩越しに背後の彼女を親指で示して。
「まさか女に奢らせるわけにはいかねーだろ? 昨日カジノでで全財産スッちまったんだよ」
「……」
「まさかあそこで赤蜘蛛が出るとはなー。あれが無ければ三倍だったのによ!」
「……」
 何それ。
 何なのそれ。
 わたしはさっき諦めた本を思い出していた。どうしても欲しくって、でも今の経済状態で皆のお金を使うわけにはいかないからって、何度も手にとっては諦めたあの本。あの本を買うのを諦めた瞬間はかなり辛かったし、自分のことばっかり考えてる自分自身にすこし自己嫌悪したし、もしかしてわたしって所帯じみてるかなぁとか情けなくなった。
 だから、デートの為に金を貸してと言われて。思いっきり、その時の感情を逆撫でされたような気がした。思いっきり強くトラップの手を引き剥がすと、トラップが驚いたようにこちらを見た。
「あんだよ、何むくれてんだよ、」
「知らない!!」
 胸が苦しい。わたしは思いっきりトラップの耳元で怒鳴ってその場から逃げ出した。妙にこころが痛くって、苦しくって。そんな風に、今さらトラップの言動に迷わされている自分が自分で不思議だった。
 廊下ですれ違った、たった一瞬がひどく長く感じた。視線自体が意志をもってこちらに向けられる。向日葵の花をおもわせる髪の隙間から強いちからを放つひとみが垣間見えた。
 触れていない皮膚の熱さを思い出した。廊下には窓から差し込んだ日差しが降り注いでいる。茹だった空気をかきまわすような鈍重さで腕を伸ばした。感覚は長いのに時間は短い。体が世界から引き剥がされるような感覚をリアルに感じた。ゆびさきが首筋に触れる。茶色いひとみが円くなって、色の濃い虹彩に自分が映し出されていた。それが可笑しくて少しだけ笑うと相手も微かにほほ笑んだ。くちびるがきゅっと引かれて白い歯が零れる。日差しをあびたくちびると皮膚の境い目は濡れていて、薄紅色というより蒼ざめてみえた。
 こしを伸ばす。首筋に手のひらを押し当てたまま、掠めるようなキスをした。一瞬なのにひどく長い。そっとくちびるを離して相手を伺うと、小動物のようなひとみが一瞬呆けて瞬きをして、やがて耳まで真っ赤に染まった。
「ヒバリさんっ!」
 上擦った声が夏の空気を心地よくゆらした。膨れるツナが面白かったので雲雀はもう一度キスをした。
 少女はまだ子供であったが、外見に惑わされてはならぬことをマキシマは知っていた。少女は確固たる強さをもっていた。しかしその強さは得体が知れぬ。
 厄介なのは氷のように四方の光を乱反射させる不確かなひとみだ。こちらを見ているのかすら定かではない。
 強い者は得てして強い双眸をしているものだ。「強い奴は目を見れば分かる」と得意げに話していたのは炎を使う男の弟子だ。大会の最中、インタビュアーに向かって胸を逸らして語っていた。マキシマはそれを、離れた場所で聞いていた。
 たしかにそれは一理ある、だが少女に当てはまることは無かった。少女のひとみは氷だったが、かち割って中身を覗いたところで邪気の無い稚さしか存在しない。つまりは幼いのだ。そこには測るべき強さも無い。周囲の気配をさぐることも相手を威圧することも無く、かといって相手を淡々と見据えることもせずに、ただ積み木であそぶ赤子のように、目の前の敵を屠っていく。
 少女のような存在を何と呼ぶのかマキシマは知らない。強者と呼ぶべきか弱者とののしるべきか、天使なのか悪魔なのか何も知らない餓鬼なのか。
 そして少女はひとみを爛々ときらめかせて今日も敵を退けた。勝ったことを素直にはしゃぎ、次の瞬間にはてのひらに氷をつくりだして遊び始める。薄藍色の髪が白いほほにかぶさって氷の眸を周囲から隠した。一瞬だけのことだ。すぐに顔を上げると場外で待っていたマキシマを見つけた。
「見た? 勝ったよ」
「そうか」
 頷くと少女は小さくくすりと笑った。薄い唇から八重歯がのぞく。少女がこちらに駆け寄ろうとした、しかしそれと同時に少女の傍らに黒肌のおんなが現れた。よくやった、そう労う人外のおんなに少女は笑う。まだ餓鬼なのだ。興味の対象がころころと変わる。
「ねえ、誉めて、」
 甘える声が聞こえる。その声はひとみと同様に、ひどく不確かで薄い響きを帯びていた。
 
 
終わり。
 
→マキシマとクーラは如何だろう。(趣味まるだし)オズワルドとクーラでもいけるような気がしますが多分それはわたしの勝手な思い過ごしなのだと思います。(つまりは右側がクーラならあとは誰でもいいのです)(K'とか?)
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