luna y perroluna y perro
日々のぼやき
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ゆびさきは少しだけ荒れていて、爪の脇にはささくれがあった。空気を掻い潜るように静かに視界に入ってきたゆびさきを見ていると、空気の重さというものを少しだけ感じることができた。それを重圧というのかは判別できない。空気の重さなど感じない世界を長く生きてきたがためにそういった些細な感覚にはひどく鈍感になっていた。
黒服を脱いでしまえば、余計に。
先輩、とゆびの持ち主が小さく囁く。彼はひどく独特な喋り方をすると思う。呟くほどの声で、優しげな口調で囁くくせに語尾の一瞬が、何処か壊れてしまいそうな繊細さをもっている。泣きだす直前の子供のようだ。或いは立ち直れないほどの傷を付けられた人間の声。
不思議な話だ。彼自身は傷ついた素振りなど全く見せていないのに。観察するとむしろ逆だということに気付く。彼は自分の運命を受け入れて、そのうえで運命と向き合っているような人だった。傷付くよりも先に前を見据える種類の人間だと思う。なのにふとした瞬間に発する声は赤ん坊のように頼りない。
そのアンバランスさに、ひどく惹かれた。
ゆびさきがようやく首筋の皮膚にぴったりと付いた。性的なものを感じさせない直接的な仕草だった。こういう時ばかり鋭敏な感覚が、皮膚のうえにくっ付いた指紋のざらつきまで感じさせる。指はゆっくりと、首から鎖骨へと移動していく。くすぐったくもないし快感も然程感じられなかったが背筋がぞわりと粟だった。死に直結していると、聞いたばかりだからだろうか。脳髄を冷たい感覚がすべり落ちる。腰から全身へと冷たい予感が広がった。
指は鎖骨の一点を指して、そこで止まった。
視線をあげると彼が困ったように笑っていた。泣きそうな笑顔だったので苛めすぎたかと素直に反省してしまう。ぼさぼさの髪の毛が揺れて細められた瞳が月明かりに反射する。涙が見えないのが不思議なほどに切なげな表情をしていた。
「……苛めすぎちゃいましたね、」
殊更に、明るい口調で言うと彼はそんなことありませんと矢張り困った口振りで応えてきた。指が鎖骨から離れていく。何かしらの圧力が掛かっていた皮膚が元の体温を取り戻す。その感覚を、何処か遠いところで感じていた。彼は離した自分の指先をじっと見おろしてから、手をポケットにつっこんだ。表情は穏やかで、少し恥ずかしげに目元を赤らめているのが印象的だった。
すいませんでした、と篭った声で謝られて思わず目を円くした。
「何がですか?」
「……触っちゃって」
死を露わにしたことより、肌に触れてしまった事のほうが彼にとっては問題らしい。その不思議な感覚に苦笑してしまう。触ってと頼んだのは私のほうですよ、と諭すような口調で言うと彼はますます恥ずかしげに目を伏せた。自分でも、言った後でちょっとエッチな台詞だったなと自覚した。
不意に沈黙が降りてしまった。居心地の悪い空気を払拭するために、不自然ににっこりと笑ってみせる。先ほどまで彼の指先が触れていた首筋を自分の手で覆った。
「これが、私の死ですか」
しみじみと呟くと、彼がすいませんとまた謝る。今度は肌にふれた事ではなく、死をあらわにしたことに対する謝罪のようだ……謝られても困るけれど。何せ頼んだのはこちらのほうだ。私の死も見えますか?と、何の気なしに尋ねたのだった。見えるわけが無い、そう思っていたので彼がうなづいた時には心底びっくりした。そして俄然興味がわいて、見えているのなら教えてください――と、ついお願いしてしまったのだった。
「……謝られることなんてないですよ、」
彼が触れた部分を手のひらで辿る。彼は不思議そうにこちらを見ていた。きっと彼には分からない感情なのだろう。だけど説明しようとは思わない。ただ、苦笑紛れに言葉を放った。
「自分に死があることが、ちょっと嬉しいんですから」
「……、」
彼は何も応えない。沈黙のなか、彼が触れた「死」を触った。
彼に出会うまで、自分が死ねる存在だと思っていなかった。永遠に生きる苦しみを与えられているのだと、その終わることの無い贖罪をこころの何処かで憎んでいた。けれど彼はあっさりと「死」を報せてくれた。他の誰も与えては呉れなかった、最後の救いを――。
だから。
最後は彼に殺されたい。
その感情の名前は知らない。けれど彼に殺される瞬間を想像すると、何故か涙が出そうなほどに嬉しかった。
黒服を脱いでしまえば、余計に。
先輩、とゆびの持ち主が小さく囁く。彼はひどく独特な喋り方をすると思う。呟くほどの声で、優しげな口調で囁くくせに語尾の一瞬が、何処か壊れてしまいそうな繊細さをもっている。泣きだす直前の子供のようだ。或いは立ち直れないほどの傷を付けられた人間の声。
不思議な話だ。彼自身は傷ついた素振りなど全く見せていないのに。観察するとむしろ逆だということに気付く。彼は自分の運命を受け入れて、そのうえで運命と向き合っているような人だった。傷付くよりも先に前を見据える種類の人間だと思う。なのにふとした瞬間に発する声は赤ん坊のように頼りない。
そのアンバランスさに、ひどく惹かれた。
ゆびさきがようやく首筋の皮膚にぴったりと付いた。性的なものを感じさせない直接的な仕草だった。こういう時ばかり鋭敏な感覚が、皮膚のうえにくっ付いた指紋のざらつきまで感じさせる。指はゆっくりと、首から鎖骨へと移動していく。くすぐったくもないし快感も然程感じられなかったが背筋がぞわりと粟だった。死に直結していると、聞いたばかりだからだろうか。脳髄を冷たい感覚がすべり落ちる。腰から全身へと冷たい予感が広がった。
指は鎖骨の一点を指して、そこで止まった。
視線をあげると彼が困ったように笑っていた。泣きそうな笑顔だったので苛めすぎたかと素直に反省してしまう。ぼさぼさの髪の毛が揺れて細められた瞳が月明かりに反射する。涙が見えないのが不思議なほどに切なげな表情をしていた。
「……苛めすぎちゃいましたね、」
殊更に、明るい口調で言うと彼はそんなことありませんと矢張り困った口振りで応えてきた。指が鎖骨から離れていく。何かしらの圧力が掛かっていた皮膚が元の体温を取り戻す。その感覚を、何処か遠いところで感じていた。彼は離した自分の指先をじっと見おろしてから、手をポケットにつっこんだ。表情は穏やかで、少し恥ずかしげに目元を赤らめているのが印象的だった。
すいませんでした、と篭った声で謝られて思わず目を円くした。
「何がですか?」
「……触っちゃって」
死を露わにしたことより、肌に触れてしまった事のほうが彼にとっては問題らしい。その不思議な感覚に苦笑してしまう。触ってと頼んだのは私のほうですよ、と諭すような口調で言うと彼はますます恥ずかしげに目を伏せた。自分でも、言った後でちょっとエッチな台詞だったなと自覚した。
不意に沈黙が降りてしまった。居心地の悪い空気を払拭するために、不自然ににっこりと笑ってみせる。先ほどまで彼の指先が触れていた首筋を自分の手で覆った。
「これが、私の死ですか」
しみじみと呟くと、彼がすいませんとまた謝る。今度は肌にふれた事ではなく、死をあらわにしたことに対する謝罪のようだ……謝られても困るけれど。何せ頼んだのはこちらのほうだ。私の死も見えますか?と、何の気なしに尋ねたのだった。見えるわけが無い、そう思っていたので彼がうなづいた時には心底びっくりした。そして俄然興味がわいて、見えているのなら教えてください――と、ついお願いしてしまったのだった。
「……謝られることなんてないですよ、」
彼が触れた部分を手のひらで辿る。彼は不思議そうにこちらを見ていた。きっと彼には分からない感情なのだろう。だけど説明しようとは思わない。ただ、苦笑紛れに言葉を放った。
「自分に死があることが、ちょっと嬉しいんですから」
「……、」
彼は何も応えない。沈黙のなか、彼が触れた「死」を触った。
彼に出会うまで、自分が死ねる存在だと思っていなかった。永遠に生きる苦しみを与えられているのだと、その終わることの無い贖罪をこころの何処かで憎んでいた。けれど彼はあっさりと「死」を報せてくれた。他の誰も与えては呉れなかった、最後の救いを――。
だから。
最後は彼に殺されたい。
その感情の名前は知らない。けれど彼に殺される瞬間を想像すると、何故か涙が出そうなほどに嬉しかった。
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