luna y perroluna y perro
日々のぼやき
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何処か遠くへ行こうかと笹塚さんが言ったので少し不思議に思った。こんな状況下で如何してそんなことが言えるのだろう。
そりゃあ笹塚さんは毎日仕事に行っているし例えば仕事帰りにわたしの服を買ってきてくれたりわたし用のマグカップを買ってきてくれるから、その途中で何処か遠くへ行きたいとふと思ったりするかもしれない。けれどわたしは到底そんなことは思えない。もう一週間も、外の世界を見ていない。光の差さない地下室で手錠を嵌められてぼんやり天井を眺めて一日を過ごしているので、遠くに行きたいというより外に出たい欲求が強い。
「何処へ?」
尋ねると笹塚さんは吸っていた煙草を口から離して「さあね」と呟くように応えた。色素の薄い瞳が一瞬だけまたたいたので、多分わたしの返事など期待していなかったのだろう。決まり悪げに頭を掻く。
「何処でも良いんじゃないの、」
笹塚さんの言葉は独特だ。ひどく沈んだ声色をしているのに、それ以上の感情を一切うつしださない。わたしを此処に監禁してからもその調子は変わらない。
何となく手を伸ばして、笹塚さんの前髪に触れた。鉄の鎖がじゃらりと足元で音を立てる。洗顔やお風呂でぬらしてしまったので、金属が錆びる独特の臭いがただよってくる。血の臭いに少し似ている。表面が錆びた鉄は、手首に茶色の跡をつける。
聖痕、という言葉を一瞬だけ思い出した。何故思い出したのかは分からない。何にしろ、笹塚さんの髪の毛は子供みたいに柔らかくてさらさらしていた。ゆびの隙間をするりと通り抜けていく。
笹塚さんは気持ちよさそうに目を閉じていた。その表情が、少しだけ泣いているように見えた、気がした。
「雲の上なんかどうですか、」
わたしが尋ねると、笹塚さんは瞳をうっすらと開いた。透明な双眸にわたしと腐った鎖が映りこむ。
「小さい頃、雲の上に乗れるって思ってたんですよね」
天井を見上げる。真っ白なペンキの塗りたくられた部屋は雲なんかちっとも見えやしない。笹塚さんも、釣られたように天井を見上げた。長い首の皮膚がゆっくり突っ張り、はっきりした形の咽喉仏があらわになる。今にも皮膚を突き破りそうな笹塚さんの咽喉仏が、わたしはそれなりに好きだった。
「それで、雲を食べられると、思ってた」
「……弥子ちゃんらしいね」
「そうかな、」
苦笑して、笹塚さんの肩にあごを乗せる。鎖の揺れる音と、笹塚さんの息遣い。鎖は重くて、痛かった。繋ぎ目が皮膚に食い込んでいて、赤く鬱血している場所もある。
「本当はね、」
すぐそばにある、笹塚さんの耳元に囁いた。耳の後ろにほくろがある。日に当たらない場所だからか、他の場所のほくろよりわずかに目立っている気がする。
「一緒に居られたら、何処でもいいんです。雲の上でも、土の下でも」
本心だった。けれどその言葉を聞いた笹塚さんは突然わたしの手を振り払った。あまりに突然のことだったので思わずしりもちをついてしまう。
笹塚さんは背を向けていた。床に視線を落として頭を片手でかかえている。見上げた背中はひどかった。ひどく近いのにやけに遠景だ。
「……弥子ちゃん、」
ただ、名前を呼ぶ。それだけの言葉だったのに、何故かわたしはようやく笹塚さんの奥底を垣間見た気分になった。
手首に食い込んだ鎖に、錆びた血が付着していた。
おわれ。
そりゃあ笹塚さんは毎日仕事に行っているし例えば仕事帰りにわたしの服を買ってきてくれたりわたし用のマグカップを買ってきてくれるから、その途中で何処か遠くへ行きたいとふと思ったりするかもしれない。けれどわたしは到底そんなことは思えない。もう一週間も、外の世界を見ていない。光の差さない地下室で手錠を嵌められてぼんやり天井を眺めて一日を過ごしているので、遠くに行きたいというより外に出たい欲求が強い。
「何処へ?」
尋ねると笹塚さんは吸っていた煙草を口から離して「さあね」と呟くように応えた。色素の薄い瞳が一瞬だけまたたいたので、多分わたしの返事など期待していなかったのだろう。決まり悪げに頭を掻く。
「何処でも良いんじゃないの、」
笹塚さんの言葉は独特だ。ひどく沈んだ声色をしているのに、それ以上の感情を一切うつしださない。わたしを此処に監禁してからもその調子は変わらない。
何となく手を伸ばして、笹塚さんの前髪に触れた。鉄の鎖がじゃらりと足元で音を立てる。洗顔やお風呂でぬらしてしまったので、金属が錆びる独特の臭いがただよってくる。血の臭いに少し似ている。表面が錆びた鉄は、手首に茶色の跡をつける。
聖痕、という言葉を一瞬だけ思い出した。何故思い出したのかは分からない。何にしろ、笹塚さんの髪の毛は子供みたいに柔らかくてさらさらしていた。ゆびの隙間をするりと通り抜けていく。
笹塚さんは気持ちよさそうに目を閉じていた。その表情が、少しだけ泣いているように見えた、気がした。
「雲の上なんかどうですか、」
わたしが尋ねると、笹塚さんは瞳をうっすらと開いた。透明な双眸にわたしと腐った鎖が映りこむ。
「小さい頃、雲の上に乗れるって思ってたんですよね」
天井を見上げる。真っ白なペンキの塗りたくられた部屋は雲なんかちっとも見えやしない。笹塚さんも、釣られたように天井を見上げた。長い首の皮膚がゆっくり突っ張り、はっきりした形の咽喉仏があらわになる。今にも皮膚を突き破りそうな笹塚さんの咽喉仏が、わたしはそれなりに好きだった。
「それで、雲を食べられると、思ってた」
「……弥子ちゃんらしいね」
「そうかな、」
苦笑して、笹塚さんの肩にあごを乗せる。鎖の揺れる音と、笹塚さんの息遣い。鎖は重くて、痛かった。繋ぎ目が皮膚に食い込んでいて、赤く鬱血している場所もある。
「本当はね、」
すぐそばにある、笹塚さんの耳元に囁いた。耳の後ろにほくろがある。日に当たらない場所だからか、他の場所のほくろよりわずかに目立っている気がする。
「一緒に居られたら、何処でもいいんです。雲の上でも、土の下でも」
本心だった。けれどその言葉を聞いた笹塚さんは突然わたしの手を振り払った。あまりに突然のことだったので思わずしりもちをついてしまう。
笹塚さんは背を向けていた。床に視線を落として頭を片手でかかえている。見上げた背中はひどかった。ひどく近いのにやけに遠景だ。
「……弥子ちゃん、」
ただ、名前を呼ぶ。それだけの言葉だったのに、何故かわたしはようやく笹塚さんの奥底を垣間見た気分になった。
手首に食い込んだ鎖に、錆びた血が付着していた。
おわれ。
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