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luna y perroluna y perro
日々のぼやき
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 好きなんかじゃないから、と囁く声は壊れたレコードのように繰り返されて夜の空気に昇っていく。言葉の行く先を眺めた視界には天井から吊り下げられた蛍光灯だけが白く光っていた。時折またたき、一瞬消える。意味もなくその一瞬の暗闇を見つめてから、目線を下げた。
 ソファに横たわった自分の体のうえに、寝そべるように細い体が寄りかかっている。痩せた体なので特に重さは感じない。腹筋の上に付けられた肘も、重いというよりは骨があたってくすぐったい。
 弥子は決してネウロを見ようとはしなかった。しかし離れることもせずにただネウロの胸にほほをあてて遠くを見ている。
 白んだ灯りに照らされた伽羅色の髪に触れようとして、やめた。正直な話、弥子に触れるのは億劫だった。少しでも力を込めれば壊れてしまいそうで、またはそんな莫迦なことを考えてしまう自分が不快で、結局伸ばしかけた手を引っ込めて自分の髪をかきあげた。
 人間というのは面倒だ。脆く、果敢無く、すぐに壊れる。
 下界で暮らしてからそれほどの時間は経っていなかったがネウロが人間に対して抱く感想はそれほど変わらない。面倒だから関わりたくはない、だが謎を食うためには人間に接触しなければならない――面倒なことだと、心底思う。
 
「好きなんかじゃないから」
 
 また弥子が言葉を漏らした。何度も繰り返されるその言葉は既に聞き飽きていたが特に黙らせようとも思わない。弥子にどう思われていようがネウロには露ほどの関心もないし、第一ほほを寄せられたまま告げられるその言葉は嘲笑するほどのお為ごかしだ。
「好きなんかじゃないから」
 呟くたびに、ぴったりと付けられた弥子のほほが微かに震える。表情は見えなかったが言葉は驚くほど無表情で、しかし震えるほほが何か別のことを伝えているようにも、ネウロには思えた。
 
 人間は面倒だ。ネウロは思う。
 脆く、果敢無く、すぐに壊れる――そのくせ、目には見えない強固な鎖でこちらを雁字搦めにしてくる。ゆび一本で潰せそうな、華奢な肢体を見下ろしてネウロは僅かに笑う。正直、弥子の呟きを聞くのはひどく心地よいことだった。
 
 
おわり。
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 人間の住む街には様々なごみが落ちているものだが生きている人間を拾ったのは初めてだ。拾ったのはまだ五歳ほどの少女で、名前を尋ねたネウロに「やこ」とたどたどしい言葉遣いで応えてきた。
「ヤコ、か」
 ネウロは道端の電柱に寄り添うように座り込んだヤコの髪をゆびで梳いた。垢と脂で髪はべっとりと絡み付いてくるが、街灯の白色光をあびて香色にきらめく髪は洗ってやれば人並みにはなりそうだ。鼻水の垂れた鼻をすすって、ヤコは上目遣いにネウロを見上げた。
「おなか、すいた」
 やけにやわらかそうなてのひらが腹部を覆い、同時にぐうとかえるの鳴き声めいた腹の音が聞こえてくる。ネウロは着ているコートのポケットを探った。
 ネウロ自身は人の食べ物を食さないが、今日は依頼人から菓子折りとやらをもらっていた。そのうちの殆どは吾代にくれてやったが、チョコレートが一粒残っていたはずだ。
 小さなチョコレートは布地の隙間に隠れるようにしてあった。取り出すとヤコのひとみが爛々とかがやき、ぷよぷよした手のひらがコートの裾を掴んでくる。
「待て」
 今にもチョコレートに飛びつきそうなヤコを手で制して命じる。ヤコは素直に頷いて、けれど目線だけはネウロの手にあるチョコレートを見つめていた。一秒、二秒、三秒。ヤコの口から涎が垂れかけるその直前に、ネウロはヤコを解放してやることにした。鼻先に突きつけていた手を離し、代わりにチョコを口元に運ぶ。
「よし」
 まるで、犬か猫にでも命令するような。
 けれどヤコは歯を見せてにんまりと笑うとネウロの手に飛びついた。チョコレートの銀紙を外してぺろりと舐める。赤い舌がチョコレイトの色に染まっていく様子は、不思議とネウロを落ち着かない気分にさせた。
「美味いか?」
 尋ねると、ヤコはチョコの付いた唇をきゅっと引いて「おいしい」と応えた。鼻にもチョコが付いている。ネウロは微かに笑い、ヤコの鼻をゆびさきで擦った。
 ネウロには体温というものがない。冷たい肌に驚いたのか、ヤコのひとみが一瞬まるまり虹彩の色が薄らいだ。
「付いていたぞ、粗忽ものめ」
 ネウロはヤコをねめつけてから、自分のゆびさきに付いたチョコを舌先で舐めた。ヤコはチョコレイトを摘んだまま、ぼんやりとそんなネウロを様子を眺めていた。
 どこか遠くでクリスマスソングが流れていた。道を行く人々はみんな家路を急いでいて、みなしごとしゃがみこんだ青年などを気にかける者は居ない。
 ヤコはしばらくネウロを見つめていたけれど、やがて首をかしげて「あなたは天使さま?」と尋ねてきた。よりにもよって天使とは。ネウロは思わず鼻で笑った。
「何故そう思う?」
「おかあさんが、天使さまが迎えに来てくれるから待ってなさいって言ってたの。だからあなたは天使さまでしょう? わたしを迎えに来てくれた、」
「残念だが」
 ネウロは立ち上がった。コートに付いてしまった埃を払い、ポケットに手を突っ込む。
「我輩は天使などではない。だから、貴様を迎えに来たわけでもない」
「……そう」
 ヤコが俯く。遠い場所でのクリスマス・ソング。ネウロは牙を見せて笑った。
「だが、」
 ポケットに入れていた手を取り出し、ヤコへと伸ばした。抱き上げた体は軽かった。ヤコが目を見開いてネウロを見つめる。ネウロはヤコを肩口に乗せた。まるで戯れの童話で読んだ、かのクリスマスの男のように。
「我輩は貴様をさらいに来たのだ。さあ、行くぞ」
 ヤコは抵抗しなかった。ネウロの背中に逆さまのまましがみついて、濡れた囁きで「うれしい」とだけ呟いた。
 
 
おわり。
 俺の目を見ろ。その男はそう囁いた。
 白く切り取られたような月が空に浮かんでいた。細い雨がしずかに降りつづけて地面に弾けて淡い霧をつくりだす。瞬きをくりかえす街灯の下で、濡れた男の体の線が浮かぶように白く映える。濡れた髪が男のほほにぴったりと貼りついていた。その隙間からのぞく漆黒のひとみ。それを見てはならないと、男に会った瞬間から気が付いていた。
「見ろ。貴様の好物だろう?」
 男は手に持ったナイフを握りなおした。その言葉に一瞬かおをあげかけたが寸でのところで視線を逸らす。男を見てはならないと強く思った。男はこの世に存在し得ないものであり、そしてまた同時にこの世の核をなす存在だった。見れば崩壊させられるだろう――自分も、そして自分が形作ってきた世界という名の運命の全ても。
 雨が地面に降り注ぐ。雨音。細い線を描く雨は音もなく蒸発する。それで自分が血を解放させていることに気が付いた。男は笑う。唇を微かに歪める笑みは、あの人とはまるで対極の性質しかもちえないのに何故かあの人の穏やかな笑みを思い出させた。
「雨を弾くのか。なかなか便利だな」
 明らかに、濃く呪われた血の存在を莫迦にしている口調だった。唇をかみ締めて男を睨む。決して目は合わせないように――しかし男の動きにすぐ対応できるように足をにじらせた。靴越しだというのに濡れた地面が瞬時に乾く。男はゆらりと腕をあげ、ナイフを視線の高さで構えた。
「俺の目を見ろ」
 光るナイフの奥にあるふたつの瞳。ナイフの下にある唇が薄く開かれ誘うように舌なめずりする。
「あの甘ちゃんと同じ目だ。貴様はこの目が、欲しくて欲しくて仕方ないんだろう?」
 歌うような言葉が鼓膜で渦を巻く。意味を理解した瞬間、体中の血が沸き立った。視界をさえぎっていた髪が一気に紅くなる。解放は膜を一枚脱ぎ捨てるようなものだった。罅割れる自分の体、自分の力。咽喉奥から獣のようなうめき声が漏れ聞こえ、それを何処か遠くで聞いている自分がいた。
「…あなたは兄さんではないわ」
 声はあえかにさえ響いた。男は獣じみた笑みを浮かべて。
「同じだよ。俺の目を見ろ。同じ眸だ」
「…そうかもしれませんわね」
 男の言葉を肯定して、そこでようやく視線をあげた。降り注ぐ雨。張り詰めた空気。その向こう側に黒いふたつの瞳があった。深淵ほどに暗い双眸。ふたつの死。彼女は笑った。
「なら、その目を抉り取って差し上げるわ」
 
 その目の持ち主は一人だけだ。
 
 宣言した瞬間、あの人の静かな双眸を思い出した。
 
 
おわり。
 結局あれって、ただの八つ当たりだったよなあ。
 みすず旅館のベッドのうえ。ルーミィの着替えを手伝ってやりながらわたしは昼間のことを思い出して溜め息をついた。あの瞬間はものすごく腹がたって、その怒り方が自分でも不思議なくらいだったけれど。つまりあれって、ただ単に本を諦めたことばっかりだったとか、お腹がすいていたとか、そういう些細な原因が積み重なった結果だったんだと思う。そこでたまたま、トラップのひと言が引き金になってしまっただけで。
「ぱーるぅ、どうしたんらおー?」
 寝ぼけ眼のルーミィが尋ねてきて、わたしは慌てて「何でもないよ」とこたえた。晩御飯を食べたばかりだからルーミィの目は半分閉じかけている。中綿がぺしゃんこになってしまったパジャマを着せてベッドに寝かしつけると、すぐに小さな寝息を立てはじめた。
 となりで横になると、ルーミィの体温が温かくておもわずうとうとしてしまう。来週までにあげなきゃならない原稿があるのに…原稿料を前借りしているから、遅れるわけにはいかないのだ。前借り、借金。最近はそんなことばかりだ。
 そう、昼間のことを考えてるうちに自覚したんだけどわたしは結構いろいろなものに押し潰されそうになってたみたい。お金もないし、つい最近までは冒険者をやめようかどうかで悩んでたし……そのことはもう解決したと思ってたけど、心のどこかであの時の暗い気持ちを引き摺ってたんだよね。キスキン国のことが終わってからは、家を買ったりその家の修繕をしたりで目が廻るほど忙しくて、あの時の気持ちなんて何処かへ消えていたんだけど。
 そうやってわたしがモヤモヤしてるところに、トラップが能天気かつ自分勝手にも「金貸して」ときたじゃない? だから自分の悩みを思いっきり逆撫でされたっていうか、あけすけなトラップの態度に嫉妬したっていうか。言葉にするのって難しいけど、そんな感じだったんだと思う。まさに純然たる八つ当たり。トラップには悪いことしちゃったな。
 まだ人間ができてないよな、わたしって。そんなことを考えながら寝返りを打っていると、ふと部屋のとびらがノックされた。いけないいけない、眠っちゃうところだった。ベッドから起き上がって寝ぼけた声で返事をした。
「開いてるよー。クレイ?」
「俺」
 ぎぃっと扉が開いて、かおをみせたのはトラップだ。不機嫌そうに眉をひそめているので多分昼間のことを怒ってるんだろう。
 トラップは無言のまま部屋の中に入ってくると勝手に椅子に座ってしまった。そしてこちらをじっと見つめる。ううう、何だか責められてる気がする。あの後、あれが原因で彼女と気まずくなっちゃったのかな。
「昼間のことだけどさ」
 トラップは少しだけ迷うそぶりをしてから話しはじめた。けれどすぐに言葉を止めて視線を宙へと泳がせる。何だかそれは怒っているというより、照れているようにも見える表情だった。わたしがじっと見ていることに気が付いて、あわてて視線を逸らせる。
 あれ? 怒ってるわけじゃないのかな?
 わたしが内心首をかしげるのと同時に、トラップが視線を逸らしたまま口を開いた。
「あれって……アレ、か?」
「はい?」
 何を言ってるんだ、こいつは。わたしは首をかっくりと傾げた。アレじゃ分からないよ。そんなオブラートに包んだような言い方はちっともトラップらしくない。
「アレって何なの? はっきり言ってくれなきゃ分からないよ」
「……分かれよ、ちっとは」
 トラップが不機嫌そうにこちらを睨む。けれど以前みたいな冷たいだけの、こっちを蔑んでるみたいな視線じゃないことはすぐに分かった。ちょっと目尻が赤くなってるし。ますます首を傾げるわたしをよそに、トラップは赤毛の髪をくしゃっと手でかきまわした。椅子に反対向きに座りなおして、背凭れの上で腕をくむ。こちらを見つめてくる視線は、何かを秘めているような感じだった。でもやっぱり言葉にしてくれなきゃ分からないわけで。
「だから、何なの? 怒ってるの?」
「いや、怒ってるわけじゃ…」
 そうか、怒ってないのか。デートに水を差されて怒ってるんだと思ってたけど。そのうえお金も貸してないわけだし…でも本人が怒ってないって言うんだから、違うんだろうな。じゃあ一体なんなんだ?
 トラップは組んだ腕にかおを伏せて、少しするとがばっと顔をあげてこちらを見つめた。
「昼間のあれって、もしかすっと…」
 やっぱりそこで言いよどむ。何かトラップらしくないな。いつもはぽんぽん会話が弾む相手なのに。仕方ないのでわたしは自分から話をすすめることにした。トラップと話すときはいつも主導権を向こうに取られてるから、ちょっとだけ嬉しいような気持ちになる。
「もしかして、昼間わたしが怒鳴った理由?」
「そう、それだよ」
 トラップはポン!と手をたたいてわたしを指差してきた。わたしはにっこりと笑う。トラップが怒ってないと分かったからちょっとだけ気分が軽くなったのだ。
「ああやっぱりー。あれね、トラップには悪かったけどつまり焼きもちなの」
「……やきっ?!」
「そう。だってトラップが呑気にデートとかしてるから」
 わたしの言葉にトラップが目を丸めている。何かこいつ、いつもと違うなー。理由は分からないけれどトラップは顔中を真っ赤にしていて、彼のそんな顔をみるのは初めてだから、わたしは内心ほくそ笑んでしまった。
「実はあの前、わたし欲しい本を諦めてたんだよね。まぁわたしたちって今お金がないからそれは仕方ないんだけど、その本が偶然にも千Gだったの。そしたらトラップが千G貸してときたじゃない」
 トラップは目を円くしたままわたしの話を聞いていた…けれどゆっくりとその眉が吊りあがってくる。しかし喋るのに夢中のわたしはそんなトラップの変化に気が付かなかった。
「わたしは本を諦めたのに、こいつは能天気にもデートとかギャンブルで金を使うのか! って思ったら、すっごくむしゃくしゃしちゃって…で、その呑気さに嫉妬しちゃったって言うか。だから八つ当たりだったんだよね。きっとトラップにも彼女にも、気分悪い思いさせちゃったよね。だから、」
 ごめんね、と言おうとした瞬間。
 ばん!とものすごい音がした。え、何? と見るとトラップが椅子を蹴るようにして立ち上がっていたのだ。こちらを見おろす瞳がものすっごく怒ってるみたいで、わたしは一瞬ことばを忘れて呆けてしまった。
「テメーに期待した俺がバカだった」
 トラップは吐き捨てて、部屋を出て行こうとする。わたしは慌ててベッドから飛び降りるとドアに手をかけているトラップの腕をとった。
「何で怒るの? 能天気ってとこが気に障った?」
 それとも呑気かしら?と、尋ねるわたしの耳を引っ張ると、トラップは思い切り息を吸って。
「……このッ鈍感女!!!」
 蝶番が壊れるんじゃないかと思うくらい強くドアを閉めて、部屋を出て行ってしまったのだった。
 あとに残されたのは呆然と立ちすくむわたしとむにゃむにゃと寝息をたてているルーミィだけ。耳元で怒鳴られた所為でまだきーんと耳鳴りがしている。
「とりゃーっ、ばかなんらおう…」
 ルーミィの寝言を聞きながら、わたしは言いようのない脱力感に襲われてその場にへたりこんでしまったのだった。
 
 
* * * * *
 
 
「……何だったの、今の音」
 と、呟いたのはリタだった。みすず旅館の入り口ホール。店の残り物を片手にやってきたリタは、扉を開けると同時に二階から聞こえた大音響におもわず持っていたバスケットを落としそうになってしまった。日頃客の大声に慣れているリタでも驚くくらいの大声と、扉を閉める音だったのだ。天井から吊り下げられた電燈がゆれて、埃がぱらぱらと舞っている。
「ま、気にしないほうがいいですよ。いつものことですから」
 リタの呟きに応えたのはキットンだ。何種類かのキノコをテーブルに並べて検分している彼のとなりでは、剣の手入れ中のクレイが呆れたような視線をキットンへと投げかけている。
「キットン、またトラップに何か言ったんだろう」
「別にどうってことじゃないですよ」
 キノコを眇めて、キットンは何でもないことのように言葉を吐いた。
「トラップが、昼間女の子と一緒に居るところをパステルに見られたと言ってましてね。どうも話をきくとパステルは怒っていたというので、じゃあそれは俗に言う焼きもちというやつではないんですかと助言したんですよ。分かります? 焼きもち。焼いたもちじゃありませんよ、クレイ」
「それくらい分かるさ。第一今は餅の季節じゃないだろう?」
「そういう問題じゃないと思うよ…」
 リタの呟きは、小さかったのでふたりには届かなかったようだ。
「で、トラップに言ったんですよ。何ならパステル本人に聞いてみたらいいじゃないですかって。もしかするともしかしますよ、なんて言ったら、彼、呆気ないほど簡単にその気になりましてねー! いや、あんなトラップは普段じゃ絶対見られませんよ!! ぎゃっはっは!!」
 キノコを片手に高笑いをするキットン。リタはその場であたまを抱え込みたくなった。
「…キットン、楽しんでるでしょう?」
「いやいや、まさかまさか! リタの思い過ごしでしょう! ぎゃっははは!!」
「楽しそうだなあ、キットン」
「ぎゃっはっはっはー!!」
 キットンの大笑いをBGMに、みすず旅館の夜はふけていくのでした
 わたしたちが拠点にしているだけあって、シルバーリーブの村はかなり物価が安い。もちろんエベリンとか大都市と比べると品数もそれほど豊富じゃないし、洋服とかも可愛いデザインのものなんかは無かったりするわけだけど。村に住んでる子たちに話を聞くと、彼女たちも洋服やアクセサリーはエベリンで買うことが多いんだそうだ。わたしがエベリンに行く時も、よくリタに洋服やアクセサリーの買い物を頼まれたりする。
 でも普段使いの部屋着なんかはあんまりデザインにもこだわらないしね。だから部屋着や日用品はいつでも村の安価なお店で買うことにしていて、そういう点ではいつも赤字状態の我がパーティにはとってもありがたい村と言えるんだ。
 そんな物価の村だからだろう。時どき、ちょっと高い品物なんかを見かけたりすると「うっわ、高価ーい!」とか思ってしまうのだ。エベリンではきっと「安い!」と思えるような値段でも悩んでしまったりする。多分まわりのものがあまりに安いからだろう。わたしなんかは周りに影響されやすい性格をしているから、特になやんでしまうんだ、きっと。
 
 
「うーん…」
 ものすごく暖かな日の昼下がり。
 わたしはシルバーリーブに一軒だけの古本屋さんでひとり悩んでいた。原因は手に持った一冊の本。この本を見かけたのが一週間前のことで、それから毎日のようにわたしはこの本屋さんに通っては長い時間買うか買うまいか悩んでいる。
 赤い皮張りの本は、かなり昔に書かれたものだ。作者はとっても有名な冒険作家で、彼の本はわたしも何冊か持っている。セラファム大陸で活躍していたらしいその作家は、実はシルバーリーブ周辺の出身らしい。わたしが手にしている本は彼が有名になるまえに自費で出版したもので、もちろん市場に出回ってはいない。半分道楽で出したんだろうな、当時無名の作家が出したにしてはかなり豪華な装飾がほどこされている。だからだろう、古本にしてはけっこう……いや、かなり高い。
「どうです、パステルさん」
 背後から突然はなしかけられて、思わず持っていた本を落としそうになってしまった。慌てて本を書棚にもどして振り返ると、本屋の主人が箒を片手にほほえんでいた。
 わたしの祖母くらいの年齢かな? 髪が真っ白で、たれさがった白い眉毛がとっても優しそうな印象のご主人だ。彼はわたしがこの本のことで悩んでいるのを知っている。だからわたしが書棚にもどした本をちらりと見ると、申し訳なさそうに眉毛をいっそう垂れさせた。
「すみませんね、もうちょっと安く出来ればいいんですが……それは希少価値が高いうえに元が高価な本なんで、それ以上安くするとどうしても原価割れになってしまうんですよ」
「ううん、分かってますよ」
 ご主人があんまり申し訳なさそうなんで、わたしはあわてて手を振ってアハハと笑った。
「以前エベリンでこの本を見たことがあるんですけど、その時はこの五倍くらいの値段でしたもん! だから此処でこの本を見つけたときは、この値段で売ってるのが信じられなかったんです。これ以上安くして欲しいなんて言ったら罰があたっちゃいます。ただわたし、貧乏なもので……」
 言いながら情けなくなってしまった。うーん、キスキン国の報酬をもらったときにこの本の存在を知っていれば迷わず買っていたのに。でももしその時この本を買っていたら、その後の騒ぎできっとこの本は燃えちゃったんだろうな…そう考えるとやっぱり買わなくて良かったのかも。
 ちなみにこの本のお値段は千G。やっぱり古本にしてはかなり高い値段だ。特にわたしたちパーティは現在全財産を火事で無くしているから、千Gでもかなりの大金なのだ。
 もちろんこの本にそれだけの価値がないと言ってるわけじゃない。少しだけ立ち読みさせてもらったけれど、内容はものすごく面白かったもの。あんまり面白くって、それ以上読むと欲しくなりそうだから途中で読むのをやめてしまったくらい。
 この作家の物語はもともと面白いんだけど、この本は作者がわたしと同い年くらいのときに書いたからか文章や登場人物の心情がものすごく心に迫ってくる。まるで自分自身が冒険しているみたいで、目の前が真っ暗になるくらいどきどきした。
 欲しい、けれど先立つものが。
 わたしは棚に戻した本の背表紙を見あげて溜め息をついた。千Gあればな…ううん、今もってるお財布の中には千Gくらい入ってるんだ。でもこれは皆の食事代に使ったり洋服とか燃えてしまった日用品を買うつもりのお金だから、ここで使うわけにはいかない。着替えも全部燃えてしまったから、ルーミィなんか近所の人にもらったお下がりの服を着ているんだもん。布地が擦り切れてしまって見るからに寒そうなジャンパースーツを着ているルーミィを見ていると、ちょっと可哀想になってしまう。もちろんルーミィは着るものに拘っていないんだけど、だからこそちょっとはいい服を着せてあげたいなと思うし。ルーミィ以外の面々にしたってぼろぼろの服を着つぶしている状態だし、毎日の食事代だって莫迦にならないし…。うう、何だかこれって、かなり所帯じみた考えじゃない?
 そんなことを悶々と考えて溜め息をつくわたしの様子があまりに哀れだったんだろう、ご主人は「この本を貸し出しましょうか?」とまで言って下さった。でもこの本は売り物なわけだし、一回手にとってしまえば欲しくなるのが分かりきっているから、わたしはそのお誘いを丁重にお断りして本屋をあとにした。
 
 本屋の外に出ると日差しがとても眩しくて、一瞬だけど目を細めた。本が傷むのを避けるために本屋の窓にはブラインドが下がっていたのだ。
 まだ春になっていないから風が少し冷たいけれど、その代わり日差しがとても温かい。いつもは閑散としているメインストリートだけど、今日は陽気に誘われたのだろう普段より多くの人が道を行きかっていた。両手一杯に果物をかかえたおばさんとか、モンスターに壊された家を直すのだろう木材をかかえた男の人とか。村の復興がはじまっているとはいえ、まだ家が壊れたままの人もいるみたい。そう考えると本一冊を買うかどうかで悩んでいる自分が、ものすごく周囲から浮いている気がした。
 みんなその日の生活を頑張っているのに、本一冊買えないだけで悩んでいる自分が、何ていうか…甘いような気がして。わたしはとりあえずあの本のことは忘れるようにしよう、と決心してみすず旅館へと戻ることにした。
 すると。
「なぁにシケたツラしてんだぁ?!」
 莫迦でかい声といっしょに、どん、といきなり背中を叩かれた。本当にいきなりだったから思わず前につんのめってしまって慌ててこらえて体勢をもどす。こんなことをする人なんて一人しかいない。勢いよく振り返ってきっと睨むと、やっぱりそこにはトラップがいた。赤い髪が風にさらさらと靡いている。逆光で表情はよく分からなかったけれど、ひょろりとした躯つきと声でトラップだとすぐに分かる。彼が意地悪く笑っているのも、見えないけれどすぐに分かった。
「ちょっと、トラップ! 転んだらどうするのよ!」
「これっくらいで転んだら冒険者失格だろ? 方向音痴のマッパーのうえに街中で転ぶような鈍くせー冒険者なんてなかなかお目にかかれないぜぇ?」
 トラップはにやにや笑ってわたしを見おろしたままだ。もう、何でこの人っていつもこうなんだろう。人の弱点を的確に突いてくるっていうのかな。本気に受けとるとかなりのダメージだ。わたしは頬をふくらませて、トラップをずいっと下から見上げた。
「まだ転んでないわよ! それに此処がダンジョンならもっと周囲に気を配ってるし! 今は街中だからちょっと油断しちゃったけど…」
「油断大敵。敵は何処から来るのか分かんねぇんだっていつも言ってるだろーが」
「何よ、トラップだってカジノに居るときは油断しほうだいじゃない…って、あれ?」
 そこでわたしは文句を止めた。トラップの肩越しにこちらを見ている女の子の存在に気付いたからだ。金髪の巻き毛に大きな茶色の瞳、細い腕をこしにあてて大きな胸をせり出してわたしを睨んでくるその女の子を、わたしは何度か見たことがあった。たしかトラップの親衛隊のひとりだ。この男のどこがいいのかわたしにはさっぱりなんだけど、彼女はかなり本気みたいで……トラップと一緒に居るわたし(当たり前だよ、パーティだもん!)にいつも敵意を向けてくるんだ。
 彼女の大きなひとみが段々つりあがってくる。周りには他の親衛隊も居ないみたいだし、もしかしてトラップとデートの途中だったのかな? だとすると、彼女がわたしを睨みたくなる気持ちも分かるな。いつもは他の子と共有してるトラップ(っていうと物みたいだけど)を独り占めしている時に、わたしが割り込んできたわけでしょう? トラップが勝手に話しかけてきたとはいえ、そりゃわたしを怒りたくもなるわな。
 トラップもトラップだよね。デートの最中に、相手を放っておいて他の子に話しかけたりするのってマナー違反じゃない。結構トラップは、そういうデリカシーに欠けてると思う。この場合あとで迷惑をこうむるのはわたしなわけだし。それを考えてわたしは段々不機嫌になってしまった。
 トラップも表情が硬くなったのに気付いたんだろう、「あんだよ?」とわたしの顔を覗きこんでくる。だから、その至近距離が駄目なんだって何で分からないんだろう。ほら、彼女の目がますます吊りあがってるー!
「トラップ、もしかしてデートの最中だったんじゃないの?」
「ああ……まぁ、ちょっとな」
 トラップはようやく背後の女の子の存在を思い出したようだった。何故か居心地のわるそうな表情でちらりと背後をふりかえって「もしかして気になるのか?」とにやりと笑ってこっちを見た。まるで子供をいじめるガキ大将みたいな笑い方だ。ちょっと得意げに、眉をあげる。
 何か感じわるいなあ。わたしは「知らない!」と怒鳴るとトラップから離れようとした。
 けれど。
「ちょい待ち、パステル!」
 がしっと手首を捕まれてしまった。思わず振り返ると、視界いっぱいにトラップの真剣な表情が広がっていて少しびっくりした。こいつの真剣な顔なんて久しぶりに見たなー。クエスト中ならまだしも、シルバーリーブでのトラップなんかいつも寝てるか人を莫迦にしてるかのどっちかだもん。
 そのトラップのかおがゆっくりと近付いてきて。真っ直ぐなひとみにわたしが映っているのが分かって。
「……っ、」
 何でだろう、息が詰まる。心臓が一気に跳ね上がった気がした。頬とか耳がものすごく熱くって、多分いまのわたしかなり顔が赤いんじゃ…と狼狽するわたしをどう思ったのかトラップは僅かに笑った。少しだけ唇をあげる、大人の男の人のような笑い方。
 何、その笑い方?!
 いきなり高鳴り始めた胸の辺りをぎゅっと押さえて、わたしがあたふたしているとトラップはゆっくりとわたしの耳に口を寄せた。うわー、息が! 普段は気にならないのに! 何か恥かしい!
 そして。
 
「千Gでいいや。貸してくんねー?」
「……はい?」
 
 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。尋きかえして恐る恐るトラップを窺うと、彼はいつも通りの意地のわるい笑みを浮かべてこちらを見ていた。肩越しに背後の彼女を親指で示して。
「まさか女に奢らせるわけにはいかねーだろ? 昨日カジノでで全財産スッちまったんだよ」
「……」
「まさかあそこで赤蜘蛛が出るとはなー。あれが無ければ三倍だったのによ!」
「……」
 何それ。
 何なのそれ。
 わたしはさっき諦めた本を思い出していた。どうしても欲しくって、でも今の経済状態で皆のお金を使うわけにはいかないからって、何度も手にとっては諦めたあの本。あの本を買うのを諦めた瞬間はかなり辛かったし、自分のことばっかり考えてる自分自身にすこし自己嫌悪したし、もしかしてわたしって所帯じみてるかなぁとか情けなくなった。
 だから、デートの為に金を貸してと言われて。思いっきり、その時の感情を逆撫でされたような気がした。思いっきり強くトラップの手を引き剥がすと、トラップが驚いたようにこちらを見た。
「あんだよ、何むくれてんだよ、」
「知らない!!」
 胸が苦しい。わたしは思いっきりトラップの耳元で怒鳴ってその場から逃げ出した。妙にこころが痛くって、苦しくって。そんな風に、今さらトラップの言動に迷わされている自分が自分で不思議だった。
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