luna y perroluna y perro
日々のぼやき
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神さまにおねがいしたら望んでいたことが叶いました。
だから、これは
神さまの所為。
朝日のなかで寝顔をじっと見ていたら意外と睫毛がながいことに気がついた。いつもは眼鏡の奥に隠れているから知らなくて、こうして寝顔を見るのは初めてではないけれど、こんなに近付いてじっくり覗き込んだのは初めてだったから、女の子みたいな睫毛にちょっとだけ驚いた。
ゆびさきで目尻に触れる。黒い睫毛が朝日を浴びて白灰色にも見える。ゆびの腹で、つぶすように睫毛を押したらくすぐったそうに震えるような瞬きをした。
いつもは穏やかな笑みを絶やさない志貴さまだけど、不意に見せる表情はひどく子供っぽい。かといって幼いだけでもなくて、ふとした瞬間にどきりとするほど大人びた表情も見せるから、わたしはいつもそのふたつの合間に落っこちておろおろしている。
「……ん、」
そろそろ起きるのだろうか、薄く開いていたくちびるからちょっと間抜けた息が漏れる。温かな吐息が鼻をくすぐってきて、そのどうしようもない幸福感にわたしの目元は自然と弛んだ。
こうして、吐息まで感じられる距離にいるのは初めてのことだ。毎朝ちょっとずつ近付く距離。けれどそれは志貴さまには内緒にしているので、すっと躯を離していつものように無表情をよそおった。志貴さまは何度か瞬きをしてからようやくながい睫毛を開いた。
「翡翠?」
「おはようございます、志貴さま」
こしを直角に曲げて挨拶をすると志貴さまはしばらくぼんやりとしていたけれどやがてにっこりと笑って「おはよう」と応えた。手探りで眼鏡をさがしてかける。揺れるカーテンと、透けた日差しをぼんやりとながめた。
「外はいい天気みたいだね」
「ええ、とても暖かいです」
そう、と志貴さまは満足げにほほ笑んだ。暖かいと躯も少し楽なんだ――そう言って、ベッドから下りようとする。ちらりとこちらを見て、困ったような顔をした。
「制服を持ってきてくれないか?」
昨日の朝とまったく同じ台詞だった。だからわたしも、昨日と同じように無表情で「志貴さま」と応える。
「今日は学校はお休みです。もう少しゆっくりしていらしたら如何がです?」
「休み……?」
志貴さまはぼんやりと髪をかいた。漆黒のひとみがゆっくりと揺らぎ、やがて濁った光をたたえて「そうだったね」と、くちびるが操り人形のように動いた。
「そうだった、休みだったな…」
でも腹が空いたから朝ごはんは食べておきたいな、と志貴さまは苦笑する。華奢なつくりの眼鏡に朝日が反射して、一瞬だけ志貴さまのひとみが見えなくなった。
「不思議だね、翡翠」
何かを落っことしたまま、大事なものを見失ったような声色だ。
「いつも誰かと、朝食を食べていた気がするよ……」
返事はできなかった。志貴さまはしばらくのあいだぼんやりと窓の外を眺めていた。
午後は外に出かけることにした。読書をするといって書斎へ向かう志貴さまには「ちょっと買ってくるものがあるのでありますので」と言っておく。
薔薇が咲きほこる広い庭園をぬけて、豪奢な造りの門扉を片手で押し開く。日差しがじりじりとうなじを焼いた。黒金の門も熱をふくんでいて手のひらに微かな痛みをおぼえた。
開いた先にあるのは傾斜のある広い道と、山の下にひろがる街の風景――。街路樹として植えられた月桂樹がやわらかな黄色い花をつけていた。だから、空気もやわらかな黄味をおびているようだった。細かな花びらが降りそそぐ中を歩く。素直にきれいだな、と思えて、口に出すとこころが浮き立った。
最近、自分は浮かれていると自覚している。毎日がたのしくて、うれしくて、少しだけ、苦しい。
世界はひどく静かだった。誰の声も、車の音も、鳥のなく聲さえも聞こえない。ふもとの街に降りてもいつもの通り人影はなかった。
なのに以前と同じように建物が並び、お店には商品が並び、道端には花壇がならんでいる。
まるで人形だけを抜き取った模型都市みたいだ、と思う。音がない世界に最初は気が狂いそうになったけれどもう慣れた。
今日の夕飯は海老の雑炊にしよう。志貴さまの好みは意外と地味で、雑炊とか煮物が好きなのだ。
誰も居ない店にはいって新鮮な海老と青菜を手にとる。誰もいないからお金は必要ない。誰もいないけれど、お店に並んでいるものはいつも新鮮だから不思議なものだとぼんやり思う。
これも、神さまの力なのか。
かんがえながら屋敷へ戻った。志貴さまがいる屋敷へ。
わたしだけの志貴さまがいる世界へ。
どうして世界がそうなったのか、わたしにはよく分からない。ただ分かっているのは神さまがわたしの願いを叶えてくれたということだけ。
願いを聞かれたから応えたのだ。
志貴さまがわたしだけを見てくれるように、と。
願った瞬間、世界から人が消えていた。わたしと志貴さま以外の人が。そこには秋葉さまも姉さんも志貴さまのご友人もいない。志貴さまは毎朝おきるたびにわたしを見つめてくれる。だれもいない世界。秋葉さまも姉さんも志貴さまの先輩も志貴さまのご友人もだれもだれもだれもいない。
遠野の屋敷が見えてきた。無音の世界のなか、わたしはうれしくて、涙が出そうになりながらも笑った。
神さまにおねがいしたら望んでいたことが叶いました。
だから、これは
神さまの所為。
だから、これは
神さまの所為。
朝日のなかで寝顔をじっと見ていたら意外と睫毛がながいことに気がついた。いつもは眼鏡の奥に隠れているから知らなくて、こうして寝顔を見るのは初めてではないけれど、こんなに近付いてじっくり覗き込んだのは初めてだったから、女の子みたいな睫毛にちょっとだけ驚いた。
ゆびさきで目尻に触れる。黒い睫毛が朝日を浴びて白灰色にも見える。ゆびの腹で、つぶすように睫毛を押したらくすぐったそうに震えるような瞬きをした。
いつもは穏やかな笑みを絶やさない志貴さまだけど、不意に見せる表情はひどく子供っぽい。かといって幼いだけでもなくて、ふとした瞬間にどきりとするほど大人びた表情も見せるから、わたしはいつもそのふたつの合間に落っこちておろおろしている。
「……ん、」
そろそろ起きるのだろうか、薄く開いていたくちびるからちょっと間抜けた息が漏れる。温かな吐息が鼻をくすぐってきて、そのどうしようもない幸福感にわたしの目元は自然と弛んだ。
こうして、吐息まで感じられる距離にいるのは初めてのことだ。毎朝ちょっとずつ近付く距離。けれどそれは志貴さまには内緒にしているので、すっと躯を離していつものように無表情をよそおった。志貴さまは何度か瞬きをしてからようやくながい睫毛を開いた。
「翡翠?」
「おはようございます、志貴さま」
こしを直角に曲げて挨拶をすると志貴さまはしばらくぼんやりとしていたけれどやがてにっこりと笑って「おはよう」と応えた。手探りで眼鏡をさがしてかける。揺れるカーテンと、透けた日差しをぼんやりとながめた。
「外はいい天気みたいだね」
「ええ、とても暖かいです」
そう、と志貴さまは満足げにほほ笑んだ。暖かいと躯も少し楽なんだ――そう言って、ベッドから下りようとする。ちらりとこちらを見て、困ったような顔をした。
「制服を持ってきてくれないか?」
昨日の朝とまったく同じ台詞だった。だからわたしも、昨日と同じように無表情で「志貴さま」と応える。
「今日は学校はお休みです。もう少しゆっくりしていらしたら如何がです?」
「休み……?」
志貴さまはぼんやりと髪をかいた。漆黒のひとみがゆっくりと揺らぎ、やがて濁った光をたたえて「そうだったね」と、くちびるが操り人形のように動いた。
「そうだった、休みだったな…」
でも腹が空いたから朝ごはんは食べておきたいな、と志貴さまは苦笑する。華奢なつくりの眼鏡に朝日が反射して、一瞬だけ志貴さまのひとみが見えなくなった。
「不思議だね、翡翠」
何かを落っことしたまま、大事なものを見失ったような声色だ。
「いつも誰かと、朝食を食べていた気がするよ……」
返事はできなかった。志貴さまはしばらくのあいだぼんやりと窓の外を眺めていた。
午後は外に出かけることにした。読書をするといって書斎へ向かう志貴さまには「ちょっと買ってくるものがあるのでありますので」と言っておく。
薔薇が咲きほこる広い庭園をぬけて、豪奢な造りの門扉を片手で押し開く。日差しがじりじりとうなじを焼いた。黒金の門も熱をふくんでいて手のひらに微かな痛みをおぼえた。
開いた先にあるのは傾斜のある広い道と、山の下にひろがる街の風景――。街路樹として植えられた月桂樹がやわらかな黄色い花をつけていた。だから、空気もやわらかな黄味をおびているようだった。細かな花びらが降りそそぐ中を歩く。素直にきれいだな、と思えて、口に出すとこころが浮き立った。
最近、自分は浮かれていると自覚している。毎日がたのしくて、うれしくて、少しだけ、苦しい。
世界はひどく静かだった。誰の声も、車の音も、鳥のなく聲さえも聞こえない。ふもとの街に降りてもいつもの通り人影はなかった。
なのに以前と同じように建物が並び、お店には商品が並び、道端には花壇がならんでいる。
まるで人形だけを抜き取った模型都市みたいだ、と思う。音がない世界に最初は気が狂いそうになったけれどもう慣れた。
今日の夕飯は海老の雑炊にしよう。志貴さまの好みは意外と地味で、雑炊とか煮物が好きなのだ。
誰も居ない店にはいって新鮮な海老と青菜を手にとる。誰もいないからお金は必要ない。誰もいないけれど、お店に並んでいるものはいつも新鮮だから不思議なものだとぼんやり思う。
これも、神さまの力なのか。
かんがえながら屋敷へ戻った。志貴さまがいる屋敷へ。
わたしだけの志貴さまがいる世界へ。
どうして世界がそうなったのか、わたしにはよく分からない。ただ分かっているのは神さまがわたしの願いを叶えてくれたということだけ。
願いを聞かれたから応えたのだ。
志貴さまがわたしだけを見てくれるように、と。
願った瞬間、世界から人が消えていた。わたしと志貴さま以外の人が。そこには秋葉さまも姉さんも志貴さまのご友人もいない。志貴さまは毎朝おきるたびにわたしを見つめてくれる。だれもいない世界。秋葉さまも姉さんも志貴さまの先輩も志貴さまのご友人もだれもだれもだれもいない。
遠野の屋敷が見えてきた。無音の世界のなか、わたしはうれしくて、涙が出そうになりながらも笑った。
神さまにおねがいしたら望んでいたことが叶いました。
だから、これは
神さまの所為。
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