luna y perroluna y perro
日々のぼやき
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酒の匂いが空気を濁らせていた。だれかの喧騒が遠くに聞こえて、だれかの笑う声が別世界のように幕一枚へだてて聞こえた。誰かがコップを倒す音。誰かがテーブルにぶつかってこける音。お酒を呑んだ人たちというのはどうしてこう煩いのだろう、とさつきは思った。けれどそれは決して、いやらしい五月蝿さではなかった。
例えば部屋の中から、通りの祭りを見下ろすような感じに似ている。人が笑っているのを見るのは好きだった。浮き足立った空気がこちらにまで漂ってきて、その空気に心まで浮かされるようだ。
壁に背をつけてグラスを傾けているととなりに誰かがやって来る気配がした。誰か、というけれどさつきにはそれが誰かすぐに分かった。彼の足音、彼の気配。それらは周囲に埋没してしまうような平坦なものだったけれど、けれどある一瞬でその気配や立てる動作が特別なものに変わる。清浄な水が一瞬ぬるまゆになるような。下腹部がやわらかく温まるのを感じて、さつきは唇の端でほほ笑んだ。
「何わらってるの、」
彼がとなりに腰を下ろした。胡坐をかいて背中を壁にそっとつける。彼は元々の体質のせいか、静かで穏やかな所作をする。さつきはグラスに残っていたジュースを飲み干すと隣をむいた。ついこの間、左のほほににきびができてしまったのでそれを隠すように髪をゆらす。右側に座ってくれればいいのに、と心の隅でおもっていた。
左側の世界、彼は自然な表情でこちらを見ていた。眼鏡の奥にあるひとみがいつもより幾分か和らいでいる。赤らんだ目元がまるで酔っているようにも見えたけれど、彼が酒類を口にできないことは周知の事実だ。彼の体質を知っている周囲も酒をすすめることはしなかったので、彼は烏龍茶のペットボトルをマイボトルとしてキープしていた。
「弓塚さんは、お酒のまないの?」
「未成年だから」
さつきの応えに彼は笑った。この状況ではあんまり説得力のない答えだ。視界の端ではクラスメイトの乾くんがビールの一気飲みを披露していた。
クラスメイトだけのささやかな新年会。最初はお菓子とジュースだけが廻っていたその場に、紙袋いっぱいのお酒とおつまみを持ち込んだのは乾くんだ。お姉さんに無理やり持たされたのだ、と言い訳をしていたけれど、父親の晩酌に付き合っているのだと一番量を飲んでいるのも乾くん。さつきはといえば、乾杯のときに呑んだカクテルジュースだけで世界が廻ってしまった。時間がたった今でも少しだけ、世界がゆらゆらと揺らめいている。
「本当はね、一杯だけで酔っ払っちゃったの」
正直に白状すると彼は「そうなんだ」と優しげに応じた。
「初めて呑んだんだけど、もうこれ以上は無理。だからそれからずっとジュース……でもちょっとまだ酔ってる。お酒って残るんだね。知らなかった」
「そっか」
彼の応えに、さつきは自分のことばが見当違いだったことを自覚した。彼はお酒を呑まないのではなく、呑めないのだ――慌てて手を振ってことばを重ねた。
「でもお酒なんか呑まなくても、ここにいるだけで愉しいよね。もう殆ど醒めてるけど、空気に酔ってる感じ?」
「ああ、なるほど」
彼は眼鏡の位置を直して頷いた。
「空気に酔ってる……か。そうかもしれないね。何だか意識が、いつもより軽いし」
僅かに眼鏡を外す。彼がそういう動作をするのをさつきは何度か見たことがあった。そして眼鏡をかけてない彼は、ひどく孤独そうな、寂しげな表情をみせる。そのことにも前から気付いていた。眼鏡ひとつのことなのにまるで彼が別人のようにも見える。けれどどちらの彼も、同等にさつきの心の底をゆさぶる。
彼は眼鏡を外したひとみで自分のてのひらを見下ろした。眼鏡を外した彼は他人を見ようとしない――さつきはそのことにも気付いていたので、少しだけ、自分のことを見てくれればいいのにと思った。彼は一体どんなひとみで自分を見て、どんな表情をするのだろう。想像するのは愉しかった。そして何処か、怖ろしくもあった。
「いつもより…」
彼のことば。さつきは一瞬だけそのことばの意味を掴みかねて呆けてしまった。彼は眼鏡をかけなおしてさつきにいつもどおりの笑みを向ける。
気のせいだ。
さつきは聞き取った微かな囁きを霧散させた。浮き立った空気が彼のことばを濁らせたのだ。そう思うことにした。
『いつもより、簡単に壊せそうな気がする』
それは彼らしくない――むしろ対極なほどに無慈悲な響き。けれどさつきは、彼になら壊されても構わないと思っていた。
おわり。
弓塚さつきさんは坊ちゃんを前にするといっぱいいっぱいになってしまって、失言とかしちゃってあわあわしているのがステキだとか勝手に思ってます。有彦さんの苗字が分からずコミックスを見直してしましました、が結局わからず…!乾君だった気がする。気のせいかもしれませんが。
例えば部屋の中から、通りの祭りを見下ろすような感じに似ている。人が笑っているのを見るのは好きだった。浮き足立った空気がこちらにまで漂ってきて、その空気に心まで浮かされるようだ。
壁に背をつけてグラスを傾けているととなりに誰かがやって来る気配がした。誰か、というけれどさつきにはそれが誰かすぐに分かった。彼の足音、彼の気配。それらは周囲に埋没してしまうような平坦なものだったけれど、けれどある一瞬でその気配や立てる動作が特別なものに変わる。清浄な水が一瞬ぬるまゆになるような。下腹部がやわらかく温まるのを感じて、さつきは唇の端でほほ笑んだ。
「何わらってるの、」
彼がとなりに腰を下ろした。胡坐をかいて背中を壁にそっとつける。彼は元々の体質のせいか、静かで穏やかな所作をする。さつきはグラスに残っていたジュースを飲み干すと隣をむいた。ついこの間、左のほほににきびができてしまったのでそれを隠すように髪をゆらす。右側に座ってくれればいいのに、と心の隅でおもっていた。
左側の世界、彼は自然な表情でこちらを見ていた。眼鏡の奥にあるひとみがいつもより幾分か和らいでいる。赤らんだ目元がまるで酔っているようにも見えたけれど、彼が酒類を口にできないことは周知の事実だ。彼の体質を知っている周囲も酒をすすめることはしなかったので、彼は烏龍茶のペットボトルをマイボトルとしてキープしていた。
「弓塚さんは、お酒のまないの?」
「未成年だから」
さつきの応えに彼は笑った。この状況ではあんまり説得力のない答えだ。視界の端ではクラスメイトの乾くんがビールの一気飲みを披露していた。
クラスメイトだけのささやかな新年会。最初はお菓子とジュースだけが廻っていたその場に、紙袋いっぱいのお酒とおつまみを持ち込んだのは乾くんだ。お姉さんに無理やり持たされたのだ、と言い訳をしていたけれど、父親の晩酌に付き合っているのだと一番量を飲んでいるのも乾くん。さつきはといえば、乾杯のときに呑んだカクテルジュースだけで世界が廻ってしまった。時間がたった今でも少しだけ、世界がゆらゆらと揺らめいている。
「本当はね、一杯だけで酔っ払っちゃったの」
正直に白状すると彼は「そうなんだ」と優しげに応じた。
「初めて呑んだんだけど、もうこれ以上は無理。だからそれからずっとジュース……でもちょっとまだ酔ってる。お酒って残るんだね。知らなかった」
「そっか」
彼の応えに、さつきは自分のことばが見当違いだったことを自覚した。彼はお酒を呑まないのではなく、呑めないのだ――慌てて手を振ってことばを重ねた。
「でもお酒なんか呑まなくても、ここにいるだけで愉しいよね。もう殆ど醒めてるけど、空気に酔ってる感じ?」
「ああ、なるほど」
彼は眼鏡の位置を直して頷いた。
「空気に酔ってる……か。そうかもしれないね。何だか意識が、いつもより軽いし」
僅かに眼鏡を外す。彼がそういう動作をするのをさつきは何度か見たことがあった。そして眼鏡をかけてない彼は、ひどく孤独そうな、寂しげな表情をみせる。そのことにも前から気付いていた。眼鏡ひとつのことなのにまるで彼が別人のようにも見える。けれどどちらの彼も、同等にさつきの心の底をゆさぶる。
彼は眼鏡を外したひとみで自分のてのひらを見下ろした。眼鏡を外した彼は他人を見ようとしない――さつきはそのことにも気付いていたので、少しだけ、自分のことを見てくれればいいのにと思った。彼は一体どんなひとみで自分を見て、どんな表情をするのだろう。想像するのは愉しかった。そして何処か、怖ろしくもあった。
「いつもより…」
彼のことば。さつきは一瞬だけそのことばの意味を掴みかねて呆けてしまった。彼は眼鏡をかけなおしてさつきにいつもどおりの笑みを向ける。
気のせいだ。
さつきは聞き取った微かな囁きを霧散させた。浮き立った空気が彼のことばを濁らせたのだ。そう思うことにした。
『いつもより、簡単に壊せそうな気がする』
それは彼らしくない――むしろ対極なほどに無慈悲な響き。けれどさつきは、彼になら壊されても構わないと思っていた。
おわり。
弓塚さつきさんは坊ちゃんを前にするといっぱいいっぱいになってしまって、失言とかしちゃってあわあわしているのがステキだとか勝手に思ってます。有彦さんの苗字が分からずコミックスを見直してしましました、が結局わからず…!乾君だった気がする。気のせいかもしれませんが。
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