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日々のぼやき
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 もうずっと昔に、同じキスをされた気がする。
 
 
 仕事から帰ってきた笹塚がまずすることは弥子へのキスで、それはくちびるやほほに落とされるような直接的なものではなく、まつ毛とまつ毛が緩やかに重なるひどく間接的なものだった。
 笹塚の吐息がほほを撫でて、弥子の後れ毛をやわらかく揺らす。雰囲気とは異なった笹塚のまつ毛は何気に長くて弥子のそれと重ねられると、笹塚の物のほうが若干長いという事実に気付く。一本一本が細くて、色が薄い。弥子のまつ毛は一見そうはみえないが実は濃くて重いので、かさなった瞬間羽毛が閃くような音が響く。
 触れることがない、けれど心臓を締め付けられるようなキスをした後、笹塚はかならず弥子を見つめて目尻にふれる。荒れたゆびさきが引っ張るように弥子の涙袋を押す。つい一瞬前まで自分のまつ毛が触れていた弥子のまぶたをそっと撫でる。
 その仕草が何という感情から発露したものなのか、弥子にはよく分からなかった。けれど見上げる笹塚の顔は何かを押さえ込んだような表情をしていて、それがますます弥子の心臓を締め付ける。
「ささづかさん、」
 呼ぶと、笹塚は「ん?」と何とも間の抜けた返答をした。色素の薄いひとみが弥子を見下ろす。弥子は一度、深く息を吐いて。
 
「何でこんなことするんですか、」
 
 笹塚は一瞬目を見開いた。けれど弥子の質問に答えることはしなかった。ひとみを伏せて弥子のほほに触れる。その横顔が今にも崩れてしまいそうだったので弥子は自分の胸元をぎゅっと掴んだ。胸が痛い。けれど不思議と、弥子にはその胸の痛みが笹塚とは関係のないところから発露したものだという予感があった。
 
――ヤコ。
 
 もうずっと昔に、同じキスをされた気がする。相手のことは分からないけれど、そのキスを思い出すたびに弥子は子供みたいに噎び泣いた。
 
 
おわり。
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